大分暖かくなりましたね。もう四月も半ばです。
春はどこに行った!?と思わなくも無いですが、冬から暖かくなり木々も咲き、山には緑が増える時期には毎年思い出す事があります。
2017年に日本一周へ出発した時の事を思い出します。
目次
思い出を思い出す。
今も様々な活動をさせてもらっていてもそうなんですが、沢山の人とお会いさせてもらっています。
日本一周では沢山の人とお会いし、お世話になりました。
SNSを見て「一目見たいと思って会いに来ちゃいました。」と言いながら会いに来てくれたり、応援のメッセージを貰ったりしました。
そういった一つ一つは当時の日記に細かく書き、頭にもしっかりと覚えているものですね。
滋賀県ではこんなお声かけしてもらったなぁ
徳島県ではこんな人が会いに来てくれて、こんな話したなぁ
山口県では絶望していたら何も言わずに甘いものをくれた人がいたなぁ
秋田県のコンビニで梨を手渡してくれた人がいたなぁ
と景色などは結構忘れてしまっていても、人との出会いや貰った物はよく覚えています。もっとありますよ。
そして、この時期になると毎回思います。
あの人は元気かなぁ~、今なにやってるのかなぁ~。
まだ私のこと、覚えてるかなぁ~。あの時の行動で私は救われたんですよ。
と思いを馳せます。
憶念
こういった気持ちを仏教では憶念と言います。
いつまでも忘れない思いや深く思い込みすることを言います。
顔を合わせたのはたったの一度。
たったの一度なんですが、今でも記憶に残っているぐらい印象深く、それだけ私は救われたんだと今になっても思います。
基本的に日本一周の旅って一人なんです。もしその時私に何かあっても誰も分からないし知らないんです。
鳥取に居た時に山奥に無料キャンプ場を見つけました。屋根付きの環境で最高の場所でした。
丁度荒天になる情報を住民の方から教えてもらい、そこへ避難しました。ですが山奥、近くには大きな滝もあります。
このまま土砂崩れになって埋もれても誰も探せないし、分からないんだ・・・
と、とても不安に駆られた夜もあります。
無事に何事もなく一夜を過ごし朝になると、近くの方が様子を見に来てくれました。
他愛のない話をして行きましたが、本当に嬉しかったです。
善導大師の観経疏にこんな一文があります。
衆生が仏を憶念すれば、仏もまた衆生を憶念し給うという文です。
私たちが仏さまを想えば、同じように仏様もまた私たちの事を思って下さっているという意味です。
心理学者フロイトは、人は皆深層心理で繋がっているという集合的無意識を提唱しましたが、それと同じような感覚だと思います。
私が日本一周で出会った人たち、お世話になった人たちを思えば、その人もまた私の事を思ってくれている。
この時期になると、当時の事を思い出します。そして同時に、仏様も同じように私を憶念してくれていると、救われる気持ちになります。
仏も我々の事を深く思ってくれているのです。