普段からお世話になっているお寺で四月に「弘法会」というお勤めがあったので、調べてみました。
目次
弘法さんってだれー?
そもそも弘法というのは誰なんでしょうか。
浄土宗でもそうなんですが、昔の偉い人は様々な名前で呼ばれています。
仏教の開祖のゴーダマ・シッダルタも仏陀も、お釈迦様とも世尊とも言われますね。
西山三派の派祖である西山上人も、証空上人と言われている書物が多いです。
同じように弘法さんとは弘法大師の事です。
そして弘法大師とは真言宗の開祖である空海というとご存じの方も多いと思います。
なので、この記事でも空海と統一します。
空海の由来
空海の俗名は佐伯真魚です。
24歳の時に、現在の高知県の室戸岬に今でもある御厨人窟(みくろど)という洞窟に籠り瞑想をしていました。
そして、口の中に星が入り悟りを得たという伝説があります。その時に「空」と「海」が目に飛び込んで来たので『空海』と名乗るようになったという伝説があります。
空海にまつわる話
今の香川県の讃岐当たりに生まれて、二十歳の時に得度したと言われています。
そして遣唐使に選ばれ、唐へ渡り密教を日本へ輸入して真言宗を開きます。
その過程で天台宗の最澄とも出会い切磋琢磨したり協力したりしていたみたいです。
弘法筆を選ばす
空海といえば、諺があります。
それが、弘法筆を選ばず、です
私も昔から金釘流の免許皆伝者として様々な活動をしています。
空海も三筆と言われる、日本で書が美しい三人に数えられていました。それほど美しい字を書く方だったんですね。
長安では、壁一面に文章が書かれていた壁がありましたが、古く修復が必要だったそうです。当時の皇帝は空海に修復を依頼しました。
空海は両手両足そして口に筆を構え一気に書き上げたそうです。
そして空海が唐に居た頃の伝説ですが、ある川のほとりで一人の童子と出会いました。
童子が川の水に文字を書くと、その文字のまま流れていきました。しかし、童子が『龍』の一点足りない文字を書くと流れる事なく留まりました。
そこに空海が点を着けると、文字は龍となり天へ昇って行ったという伝説もあります。
何のためのお勤め?
空海の命日に行うのが一般的みたいです。
835年4月22日に亡くなったと記録が残っているみたいです(wiki情報)
なのでこの時期にお勤めをするんですね。
真言宗の開祖なのに浄土宗のお寺でお勤めをするのは、おそらく真言宗の脈を継いでいるお寺の可能性もあるんですね。
四国のお遍路も空海が発祥と関わっていると言われています。それを習って各地に巡礼地というものがあります。
愛知県にも知多四国と呼ばれる巡礼地があります。そこに浄土宗のお寺も入っています。
そういった背景もありそうです。宗派に拘って考えるものではなく、お寺の歴史や住職の考えによって自由に出来る部分もあるんですね。
日本の宗教に深く関わる人物
空海は日本の歴史に名前が残っている通り、日本の歴史にもとても関わりのある人物です。
そんな弘法大師空海が過ごしていた日々を想像してみましょう。