私はお寺に生まれながら30歳頃まで仏教は嫌いでした。というか何も知らなかったし知ろうとしなかったです。
お寺の行事にも極力参加しませんでしたし嫌でした。
2017年に会社を辞めオートバイで日本一周し、その後約二年ほど長野県へ移住。完全にお寺や宗教から離れた生活を送りました。
その際にお寺の事が無性に気になり帰宅しました。
お寺の事が気になって帰ってきてたので、お寺の事をするのが筋だろうと初めて仏教の本を開きました。
手塚治虫さんの仏陀ですけどね笑
同時に知人から勧められたご縁もあり心理学サロンへ心理学を学びにも行きました。
心理学サロン魅RAKU流です。
仏教と心理学を同時に学び始めて思った事があります。
それが仏教と心理学は似ている点が多いという事です。
今回はその点についてまとめておこうと思います。
目次
仏教と心理学は似ている?
仏教と心理学は似ている!と言ってもピンと来ない人が多いと思います。
仏教も心理学も沢山あり、その中の一部がお互いに似ていると思いました。
心理学も仏教も、モノの見方によって違う世界が見えるというが大きいです。
心理学も仏教も幅が広いので、違う観点ももちろんありますがね。
仏教について
まずは仏教についてです。
皆さんが思う仏教というと、恐らく宗派で括られると思います。浄土宗とか真言宗とか天台宗とか。
ですが、これは日本に伝来してからの仏教です。日本仏教とか鎌倉仏教とか言われますね。
これらの日本仏教はかなり特殊な伝われ方をしています。
当山の浄土宗西山深草派の布教をする為の勉強会に行っても、学べるのは開祖の法然上人や派祖の証空上人の事が多いです。
遡っても法然上人が勉強をしていた善導大師ぐらいまででしょうか。あとは観音経というお経様を紐解くのですが、それも一世紀頃に成立したお経様でした。成立が一世紀なので、観音経のストーリー自体はもっと古いんですけどね。
仏教成立当時の話や考え方は殆ど入っていない様に感じます。
法然上人のお歌の解釈や、残された書物の一説を深堀していくというのがお説法のやり方になっています。
なのでお釈迦様が何をしてきたか、どんなストーリーがあって何を布教してきたかというのは学ばないんです。
なのでもし、独学でお釈迦様の事を全く知らない人がいたら、そこをすっぽかして法然上人の時代になってしまいます。
そして日本仏教は葬式仏教と言われてしまっています。
皆さんも仏教や僧侶というと冠婚葬祭に関わる役目を持っている人、という感覚を持っている人が多いと思います。
お釈迦様の時代の原始仏教は生き方、考え方に関する教えが多く死に関する部分は少ないです。
むしろ、先祖は敬い先祖供養はするべきだが個人の葬式は必ず必要ではない、とインド哲学では言われているぐらい日本との大きな差があります。
今回、私が心理学と似ていると思ったのは日本仏教ではなく、原始仏教と言われる分野です。
原始仏教とは簡単に言ってしまえば、お釈迦様が生きていた時代の仏教です。時代的には紀元前六世紀~五世紀と言われています。
原始仏教ではモノの見方や考え方、生き方を説いている部分が多いです。
本来、仏教の目的は生きている人が楽に生きるためのものであり、思考や考えについて盲目にならないための教えです。
仏教で特に有名な言葉は
人は家柄によって尊いのではなく、人間として修養のできた人、それが尊いのである
というのがありますね。言葉の訳が若干違ったりすると思いますけどね。
当時の現地(現在のインド周辺~ミャンマー周辺と言われています)ではカーストという身分制度があり、その上位にあるのがバラモンという位です。バラモンとは司祭者の事です。簡易的にお坊さんと解釈してもらっていいと思います。
当時はこのバラモンが「私はバラモンだから偉いんだ」と権力の横暴が多発していたそうです。まるで今の日本仏教の様に、袈裟や衣を着ているだけで偉そうにしている日本の僧侶のようですね。
こういった当時では当たり前だったカーストなどにも疑問を投げかけ、思考停止や盲目にならないように注意喚起というか新しい視点を出し、様々な視点でモノゴトを見る教えを出したのがお釈迦様であり、その教えが原始仏教です。
原始仏教はどこで学べるか
そんな原始仏教はどこで学べるのか。
これを言われるととても困ってしまいます。私は独学です(笑)
しかも書物もそんなに多くは読んでいないです。
なので学者さんからすると、間違った解釈をしている部分も多いと思います。
そんな私ですが、原始仏教について知りたいのであれば、まず出来る事は書物を読む事です。
私がお勧めの書物は以下の二点です。
原始仏典 (ちくま学芸文庫):中村元著
原始仏教 その思想と生活 (NHKブックス):中村元著
上記の二冊が分かりやすくお勧めです。
心理学について
次は心理学についてです。
心理学も日本仏教の宗派の様にとても幅が広いです。
アドラー心理学や、アメリカで生まれたNLP。それから学術的にも分類されたので行動心理学や社会心理学、言語心理学など下手したら日本仏教より細かいかもしれません笑
私が心理学に興味を持ったのは高校生の時でした。
一時期クラスにいるのが辛くて図書館に入り浸っていた時に、人間の心の働きに興味を持ちました。
どうせ高校の図書館にいるので図書館内の本で心理学系の本を探してよんでみました。
全く読めませんでした笑
その本には「こういう時はこうである」「こういう時はこうである」の連続で、屁理屈志向の私は『そんなん人によって違うわ!』と読めませんでした。
以降心理学はずっと興味を持っていましたが、独学で本を読む気になれず時は流れていきました。
私が学んだ魅RAKU流では、分野ジャンルに拘らず幅広く学べるので良かったです。
他のサロンやスクールではアドラーだけをやったり、NLPだけを学べたりするのでちょっと偏ってしまうんですね。
まずは広く浅く学ぶのが良いと思います。様々な手法を知っておくと、自分がもっと深めたい分野も見えてくると思うので、それが見えてきたら、アドラー心理学専門のスクールなどに行ってみるのをお勧めします。
心理学でよく言われる
過去と他人は変えられない。変えられるのは未来と自分自身だ
というのは交流分析を開発した事でも有名な精神科医エリック・バーン氏の言葉です。
はたしてこの『過去は変えられない』というのは本当でしょうか。
私が心理学を学んでいく中で、とても印象深く好きな言葉は
過去の出来事は変えられなくても、解釈は変えられる
という言葉です。
過去に起こった出来事そのものは変えられなくても解釈を変える事で、その出来事の意味合いも変わります。
それが出来れば、過去に起こった出来事でさえも変える事が出来ます。
正直これは誰の言葉かは分かりませんが、正しいと思います。
言ってしまえば過去の出来事は曖昧な記憶の中の出来事です。
私の知り合いの話ですが、幼い頃に母親が家を出て行ってしまいました。友人は父親と一緒に暮らし始めました。
父親はすぐに他の女性を家に連れ込み共同生活が始まったそうです。
友人は「浮気相手だ・・・」と思い、母親には捨てられ父親には嫌悪感を抱き中学を卒業したら家を出て放浪生活を始めたそうです。
以降家にも帰らず両親には捨てられた感と嫌悪感を抱き続けたそうです。
それが去年のお盆に父親と墓参りに行く機会がありました。
そこでずっと決めつけていた、なぜ母親は出て行ってしまったのか、その後すぐに来た女性は誰だったのか確認したそうです。
もう友人の中では「父親が女性と浮気をし、それを知った母親が私たちを捨て出て行った。」と思っていたそうです。
ですが、真相は母親が浮気をしていて駆け落ちし、それを知った母親の妹さんが来てくれていたそうです。
人間というのは案外思い込みと勘違いだけで過去の出来事を決めてしまっている部分が多いです。
この辺の考え方というか、モノの見方が原始仏教と近いと感じる部分です。
心理学はどこで学べるか
今は心理学サロンに行き、先生を持ち仲間と学びました。
結果これが大正解だっと思います。心理学は一人では無理だと思います。
それは一口で心理学と言っても幅が広く、自分が心理学のどこに興味を持ちどこを学ぶべきなのか最初は分からないと思うからです。
折角興味を持っても全く違う本を読んでしまうと勿体ないですからね。
しっかりとした先生を持ち、相談しながら学んでいった方が良いと思います。
それでも独学で学びたいという方は、まずはNLPをお勧めします。
NLP心理学は神経言語プログラミングという訳で、1970年代に言語学と心理学を基礎として発達した実践的なツールです。
創設者はリチャード・バントラーとジョン・グリンダーですが、当時の天才的セラピストであった3人(ミルトン・エリクソン、バージニア・サティア、フリッツ・パールズ)を徹底的に研究し、共通のコミュニケーションのアプローチ手法を発見しました。
その手法を誰にでも習えるようにアレンジしたものがNLPなんです。
なのでまずはNLPを学ぶのがおすすめです。
独学でNLPを学ぶのであれば下記がお勧めです。
「自分力」を上げる セラピストの心理学NLP:山田泉著
マンガでやさしくわかるNLP:山崎啓支、サノマリナ著
上記の二冊がお勧めです。
仏教と心理学は似ている
いかがでしたでしょうか。伝わりましたか?
正直、似てると思った仏教のストーリーが長すぎて載せる気になれない部分が大きいです(笑)
興味のある人は調べてみてほしいですが、「ミリンダ王の問い」で検索してみてください。中々面白い問答があると思います。
原始仏教も心理学も、しっかりと学べば今を楽に生きる事が出来るはずなので、ぜひ学んでみてください。