今年は雪がとても多いですね。
愛知県でも三回程、積もるぐらい降っています。さすがにこれだけ降ったのは私の記憶にはございません。
法然上人のお歌に雪に関する物があったので勉強してみました。
目次
法然上人の雪のお歌
お歌は
雪のうちに
仏の御名を唱ふれば
つもれるつみぞ
やがてきえぬる
というお歌です。
訳してみると、
雪が降るような寒い日に、阿弥陀仏の御名を称えて犯した罪を悔い改めようとしていると、これまでの身口意の悪行が清められる。それはまるで積もり積もった罪がまるで雪の様に溶けていく。
といった様な訳になるかと思います。
つまりですね、南無阿弥陀仏と仏の御名を称えていると、まるで雪が溶けて消えるかのように、阿弥陀仏の慈悲によってこれまでの身口意の罪が清められていく。といった感じでしょうか。
身口意の悪行とは
では身口意の悪行とはなんなのか、を少し解説してみましょう。
身は、体とか行い、行動です。
口は、口ですね(笑)発言、言動の事です。
意とは、心の働きや心遣いです。
これが身口意です。
この身口意の悪行とは
身は、体による行為です。例えば人を傷つけたりすること。
口は、言葉による行為です。例えば悪口を言ったり嘘を付くことです。
意とは、心による行為です。例えば心の中で人を恨んだりすることです。
これらが身口意の悪行です。普段生活している中でついついやってしまうことですよね。
南無阿弥陀仏と、お念仏をしてこれらの罪を悔い改めようとすれば、阿弥陀仏の慈悲によって雪のように溶けていく、というのを歌ったお歌です。
身口意の一致が大切
仏教では身口意の一致が大切とも言っています。
四字熟語でよく似た『言行一致』というのがあります。
これは言葉で発した事と行いが一致をすることです。
私はこの言行一致だけでも難しいんですよね。
例えば、以前友人が入院した時に「心配だからお見舞いに行くわ」と言って、お見舞いに行きました。
これが言行一致です。ここまでは誰でも出来る事ですよね。
身口意の一致は、そこまでではなく「一日も早く回復してほしい」という思いや心遣いが無ければ身口意の一致とは言えません。
身体は目に見え、言葉は耳に聞こえても、その心遣いまでは誰にも分りませんので、ついつい悪行に染まってしまいがちです。
そんな時は、お念仏、南無阿弥陀仏と称えて自問自答してみてください。それは人として正しいのか、正しい心遣いが出来ているのか。
身体は寒いですが、かといって心まで寒くしてしまってはいけませんよ。