浄土宗西山派の根本の教え

今回は、浄土宗西山三派と言われる宗派の基礎となっているであろう部分のお話をします。
私は西山深草派の勉強をしていますが、恐らくですね西山三派に共通している部分かと思います。

西山三派とは

三派

まずは西山三派についてお話をさせてください。

西山三派とは、西山上人、別名で善慧房証空上人や鑑知国師などちょっとややこしい名前が多いですが、ここでは西山上人と統一します。
この西山上人というのは、浄土宗の開祖法然上人の身近で21年間に渡り学び続けた高弟子です。(法然上人についてはこちら)

西山上人の考えはいずれ西山義と呼ばれ始め、西山上人の死後に西山三派の母体が出来上がっていきます。
西山三派とは浄土宗西山禅林寺派西山浄土宗浄土宗西山深草派の三つを指す用語です。

浄土宗西山深草派で学んだ西山上人のお歌を解釈してみたので、恐らく西山三派も共通の認識だろうと思っている次第です。

機法一体

機法一体

おそらくこの機法一体という考えが西山三派の考えで共通している部分だと思います。
機とは、我々衆生の事だったり、衆生が仏の教えを信じて疑わない清らかな心だったりします。
そして法とは、阿弥陀様だったりその教えの事です。

つまり、我々衆生と阿弥陀様は一体、一つなんだという考えです。
これがなぜ西山三派に共通していると思うかというのが、西山証人のお歌に残っています。

西山上人の御歌

その西山上人の御歌がこちらです。

南無阿弥陀仏
仏の御名と思ひしに
唱なうる人の
姿なりけり

これが、西山上人が残した御歌で機法一体を示していると思う御歌です。

南無阿弥陀仏、お念仏ですね。誰かがお念仏をしているかと思いきや、そのお念仏をしている人が阿弥陀様の姿をしていた。
こんな御歌です。

つまり、私たちの中には阿弥陀様が常に一緒にいるんだと歌っています。

また、中国の善導大師が書かれた観経の注釈書「観経疏」にもこんな一文があります。

南無阿弥陀仏は梵語の写しであり、
南無は帰命
阿弥陀は無量寿
物は覚
覚は三つあり、自覚、覚他、覚行円満の事

という事ですが、無量寿は阿弥陀様の性質なので法です。
覚は、要は修業を完成させた人、というので人(機)です。

つまり、阿弥陀仏という言葉には法と機の二つを併せ持っているという説明をされています。
ここからも、善導大師も機法一体という解釈をされているのかなぁと思います。

善導大師

機法一体だったらどうだというのか

では、機法一体だったらどうだというのか?

これすごい事だと思うんです。
よくね、生まれながらの悪人はいないとか言いますが、まさしくそれです。

私たちが普段生活をする中で、三悪(貪瞋痴)に代表する所謂煩悩というものに心、仏心が曇っていき、悪行に手を染める。自分が分からなくなる。取り返しの付かない事をしてしまう。

その心の曇りを晴らすのが、南無阿弥陀仏、お念仏なんです。
ちょっと落ち着きたいなぁとか、自分大丈夫か?と思ってみたら一度お念仏をしてみてください。
同称十念

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