八月が終わり九月に入りましたね。だいぶ秋の気配が深まってきました。
セミの鳴き声も変わり、境内のサルスベリも少しずつ花が落ちて寒そうな雰囲気になってきました。
先日のブログにも書きましたが、宗派の勉強会が再開されました。
私は無理行ってお説法のお前座を毎回やらせてもらっていますが、大変刺激を頂きます。まだまだ理解できていない部分が多いです。
お説法の作り方、伝え方ももっと勉強します。
目次
法然上人のお歌
勉強会の会場は少し山の中にあるお寺です。
以前お邪魔した六月は新緑が多かったのを覚えています。
それが、先日お邪魔したら少し紅葉が始まっていました。
紅葉といえば法然上人のお唄に
阿弥陀様に 染むる心に 色に出でば 秋の梢の たぐいならまし
というお歌があります。
木々の梢が夏の新緑から秋の紅葉へ、色が染まっていくように、お念仏により信仰が深まっていく様子を表すお歌です。
木々が表すモノは葉の色ですが、我々衆生が信仰を表すものは身口意の三業です。
私たちは産まれた時に阿弥陀様の大きな慈悲で溢れた心を持っています。
ですが日々の忙しい生活によってそれを忘れてしまうんです。
それを綺麗にするには、法然上人の一枚起請文にあるように
『智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし』
お念仏をすることです。
日々お念仏をする事で、夏から秋へ木々の梢の色が変わる様にゆっくり変わってきます。
梢の様にゆっくり変わります
ここが重要なんですが、”ゆっくり変わります”
木々の色は突然変わりませんよね。
私たち人間も同じです。
特に自分が変わった事は自分ではよく分かりません。
私は日本一周して、心理学を学んで親戚のお姉ちゃんに
『すごい変わったよね。無茶苦茶親しみやすくなったよぉ~』
とよく言われます。昔は常に怒っている様に見えて話しかけづらかったそうです。
この変化、私自身は全く身に覚えがないんです(笑)
こんな大きな変化にも自分で全く気付かないんです。
とても時間がかかる事なので続ける事は難しいですが、日々お念仏の暮らしをして木々が夏の新緑から秋の紅葉に変わる様にゆっくり、ゆっくり変わる事が出来ます。
それは身口意の行動、思いもそうですが、阿弥陀様への信仰心も芽生えてくると思います。