中秋の名月の名残三日月

突然冬っぽくなりましたね。気温がガクッと下がり一枚羽織りました。
そして突然訪れる睡眠ウィーク。何時間寝ても寝ても朝起きれなくなり生活時間が逆転してしまう習慣。自立神経みだれすぎなのでしょうか・・・?

夜に輝く三日月

三日月

もう日常みたいになったんですが、夜3時頃にふと目が覚めました。起きた瞬間に「あ~これ寝れんくなるや~つ」と身を起こしました。寝れないと分かっても電気は付けたくないもので、部屋の窓から外を眺めてみました。そこには綺麗な三日月が顔を出していました。

元祖法然上人のお歌に

月影の 至らぬ里は なけれども ながむるひとの こころにぞすむ

というお歌があります。

少し脱線しますが私、昔の人のお歌とか苦手なんです(笑)分からないでしょう、情緒とか。

単純にこのお歌の意味を考えてみると
お月さんの光が届かない場所は無いけど、月を眺めている人の心に何かが住んでるんだ!
そんな感じがしますよね。ちょっと違うみたいなんです(笑)
確かに月の光が届かない場所なんて沢山ありますし、曇ってたらどうすんだ!って話ですよね(笑)

まず法然上人はお言葉がとても達者で、お歌や御法語は掛け言葉を必ず用いていたそうです。そんな前提条件知らんがや、ですよね(笑)
ここの部分です。『ながむるひとの こころにぞすむ』が掛け言葉になっていて解釈が変わってきます。お歌の後半をひらがなにしているのには意味があったんです。

掛け言葉の違い

掛詞

個人的にも混ざってしまい分からなくなるので、まずは並べて見てみましょう

ながむるひとの こころにぞすむ』の一文です。
①【眺むる人の 心にぞ澄む
②【詠むる人の 心にぞ住む
です。

は、眺めている人の心に澄む。といった解釈でしょうか。
阿弥陀さまを月影と表現しているので、それを眺めていると心が澄んで綺麗になっていく様を表している感じがしますね。

は、見慣れない漢字ですが詠唱(えいしょう)の詠です。漢字辞典を見てもらっても分かりますが、ちゃんと「ながめる」という読みもされています。意味としては「歌う」とか「声を出す」などがありますね。
つまり、声に出してお念仏をしている人の心に住む、という感じでしょうか

お歌一つでここまで違う解釈がされるのも面白いですよね。

西山派は②番!

正解は二番

当山の宗派は浄土宗西山深草派です。西山派の根本的な考え方は、
私たちは常に阿弥陀さまと一心一体です。私たちの心の中に阿弥陀さまはいらっしゃいます。それは阿弥陀さまが十劫の昔に修行をされ極楽浄土をお作りになった瞬間に、私たちの行き場所は決まっています。そうそれは極楽浄土。
阿弥陀さまが居るという時点で、全ての衆生は念仏の衆生です。
という考えなので、私たちは既に阿弥陀さまが行った修行によって救われている。という解釈です。これらは全てお経様や御法語からの解釈になっています。もちろん戒というものがあるので除外される人はいますが、基本的にはこの考えです。

なので私たちの宗派では、全ての主体は阿弥陀さまです。
例えば「南無阿弥陀仏」
このお念仏も阿弥陀さまが私たちにしてくださっているのです。このお念仏の意味はまた後日、違う記事にしますね。
阿弥陀さまからしてくださっているお念仏にお返しするのが、私たちが行うお念仏です。

この考えを前提にすると、私たちは番の解釈をします。

つまり、南無阿弥陀仏と詠うるのは阿弥陀さまであり、阿弥陀さまは常に私たちの心の中に住んでいてくださっている。
というお歌です。
私たちの宗派では、気付き念仏とも言います。
阿弥陀さまの大きな慈悲の心に包まれている事に気付き、お返しの念仏をするような生活が出来るといいですね。

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