突然ですが
「あなたは、何のために生きていますか?」
こう聞かれたら、私は少し困ってしまいます。
目次
悩む住職ここにアリ

住職をしていると、いかにも「生きる意味」を知っていそうに見られることがあります。
「住職なんだから、人生について何か答えを持っているんでしょう?」
そんな目で見られることがあります。
でも、正直に言います。
私にも、よく分かりません!
むしろ、住職になってからのほうが「生きるって何だろう」と考えることが増えました。
そんな私が、生きることについて考えるとき、思い出す言葉があります。
人類は、動物であることを忘れた動物である。
誰が最初に言った言葉なのか、私は詳しく知りません。
正しいのかどうかすら分かりませんが、この語感が好きです。
この言葉を聞いたとき、「なるほどな」と思いました。
私たち人間は、自分たちが生物であることを、すっかり忘れてしまっているような気がするのです。
動物としての役割

動物には、本能があります。
食べる
寝る
生き延びる
そして、子孫を残す
とてもシンプルです。
動物として考えるなら、「生きる意味」の大きな一つは、繁殖することなのかもしれません。
自分の命を次の世代につなぐ。
自分が死んでも、遺伝子を残していく。
そう考えると、人間も動物なのだから、子孫を残し、育て、命をつないでいくことに大きな意味があるのでしょう。
・・・となると、私は困ります。
私は、結婚していません。
そして、現状では子孫を残せません。
半分諦めてもいます。
動物としての「生きる意味」から、見事に外れている。
「おい、住職。動物として大丈夫か?」
なんて、ツッコミが入りそうです。
動物として考えれば、私はなかなかの落ちこぼれです。
命を受け継いだのに、次の世代へバトンを渡す予定がない。
私のところで、バトンが止まる。
これは、なんとも申し訳ない。
ご先祖さま、ごめんなさい。案件です。
そして、私の遺伝子。
あなたには、ここで引退していただきます。
・・・と、冗談めかして書いていますが、私はこれを悲しいことだとは思っていません。
なぜなら、「人間は動物であることを忘れた動物」だからです。
私たちは、本能だけで生きているわけではありません。
「どう生きたいか」を、自分で考えることができる。
誰かを好きになることもできる。
音楽を聴いて感動することもできる。
誰かのために何かをすることもできる。
目の前にいる人を笑顔にしたいと思うこともできる。
そして、ときには「生きる意味が分からない」と悩むことさえできる。
人間が生きる意味は、最初から一つに決められているものではないのかもしれません。
子孫を残す人もいる。
仕事に人生をかける人もいる。
誰かを愛する人もいる。
音楽を続ける人もいる。
誰かを笑顔にする人もいる。
そして私のように、子孫を残さず、お寺で「生きる意味って何だろう」と考えている人間もいる。
それでも、今日も生きています。
朝起きて、ご飯を食べて、仕事をして、人と話して、笑って、たまに悩んで、夜になったら眠る。
そんな一日を繰り返しています。
考えてみれば、それだけでも十分に不思議なことです。
生きるとは

私は、まだ「生きる意味」を見つけられていません。
これから見つかるのかもしれないし、最後まで見つからないのかもしれません。
でも、今はそれでもいいのかなと思っています。
生きる意味を見つけてから生きるのではなく、生きながら考えていく。
誰かと出会い、笑い、悩み、音楽を聴き、好きなことをして、誰かの役に立つ。
そうしているうちに、あとから振り返ったとき、
「ああ、これが自分の生きた意味だったのかもしれないな」
と思えたら、今はそれで十分だと思っています。
動物の役割に背いて、子孫は残さない。
でも、誰かの心に残る言葉は残せるかもしれない。
誰かの記憶に残る笑顔を作れるかもしれない。
誰かが「今日も生きてみようかな」と思えるきっかけになれるかもしれない。
それなら、生物としての使命から少し外れてしまった私にも、何かできることがあるのかもしれません。
まあ、そんなことを考えているうちに、今日も一日が終わります。
生きる意味は、まだ分かりません。
でも、とりあえず今日も生きている。
それでいいじゃないか。
子孫を残さない私ですが、せめて今日出会った誰か一人くらいは、少し笑顔にして帰ってもらいたい。
そんなことを考えながら、今日も住職をしています。
